【視察】安治川の歴史を学ぶ

3月14日安治川周辺の視察を行いました。安治川の浚渫(しゅんせつ)によってできた天保山や波除山(瑞賢山)、整備に関わった河村瑞賢の碑、安治川水門、そして渡船と安治川トンネルを訪ねました。ルートは以下のとおり。

安治川の歴史を学ぶ

JR桜島駅集合→天保山渡船乗り場(桜島側)→天保山渡船乗り場(天保山側)→天保山(安治川浚渫によってできた築山)→大阪メトロ大阪港駅→大阪メトロ弁天町駅→弁天東公園(安治川改修の築山(波除山)跡)→安治川水門→河村瑞賢紀功碑(安治川改修を指揮した人)→安治川トンネル→JR西九条駅

天保山渡船乗り場(天保山側)

大阪市内には8か所の公営の渡船場があります。

天保山山頂 標高4.5m
天保山公園・天保山マーケットプレース

天保山
日本一低い山として有名な天保山(標高4.5m)は、天保年間に安治川とその港口を浚渫(しゅんせつ)したとき、その土砂を積み上げてできた山です。現在は一帯が天保山公園として桜や松がきれいな天保山公園として整備されています。

波除山(なみよけやま)跡
弁天東公園

波除山(なみよけやま)跡
弁天東公園内に「波除山跡」の碑があります。

江戸時代初期、河村瑞賢(かわむらずいけん)が幕命をうけて淀川の水流を妨げている九条島を真二つに分ける開削工事に着手、新川(元禄11年1698に安治川と命名)を通しました。そのときの土砂を南岸に積み上げてできたのがこの波除山で、瑞賢山ともいわれ幕府が管理していました。

安治川出現により、伝法口から中津川経由で大きく迂回して市内に入っていた船は大坂湾から直接堂島川や土佐堀川に入ることができ、距離の短縮と船の横づけが可能となり、両川の沿岸には各藩の蔵屋敷が立ち並ぶようになりました。

瑞賢が迅速かつ大胆に実施した淀川治水事業の船運への貢献によって、その後、大坂は「天下の台所」として飛躍的な発展を遂げることになります。
(関西・大阪21世紀協会 なにわ大坂をつくった100人 | 第27話 河村瑞賢より)

安治川水門

安治川水門
日本で最初にできためずらしいアーチ型の水門です。高潮警報・津波警報・大津波警報発表時に閉鎖し、大阪湾からの高潮をせき止めるはたらきをもっています。 閉鎖には30分程度かかるとのことです。

安治川水門試運転 閉鎖の様子(16倍速)(大阪府西大阪治水事務所)

河村瑞賢紀功碑

顕彰 河村瑞賢紀功碑
江戸初期、伊勢の貧農から身を起こした土木家、豪商です。政商として全国各地の航路開拓や治水工事を指揮し、晩年には武士身分を得ました。瑞賢を顕彰する紀功碑は大正四年に建てられたものです。

関西・大阪21世紀協会 なにわ大坂をつくった100人 | 第27話 河村瑞賢

顕彰 河村瑞賢紀功碑 碑文・解説(福島区歴史研究会展示資料2013)

安治川トンネル(延長80.6m・幅2.4m)

安治川トンネル
安治川トンネル安治川の河底を横断し、大阪市此花区と西区を結ぶ延長80.6mの歩行者・自転車専用トンネルです。安治川トンネルに入るには、階段か自転車も利用できるエレベーターを使用します。(エレベーターは午前6時から午前0時まで)
安治川トンネル(古くは安治川隧道)は戦争中に完成し、現在までずっと長い間、市民の重要な交通手段として使われています。安治川大橋ができるまで車も通行されていましたが、今は車道と車両用エレベータは閉鎖されています。